今日は仕事納めです。
今年は震災の影響があり、建設現場は一時パニックに陥りました。
建設途中の現場では資材がない。ユニット物の部品がそろわないので納品できない。計画停電で道具が使えない。などなど・・・・
その後は少しずつ物資が入荷し始め、上棟延期の物件も工事を始め順調に平時の用になっていきました。
しかし、その後の台風の影響で屋根の工事店が受注オーバーになって未だに工事は遅れがちになっています。
板金、瓦工事店では台風後の修理の為の見積もりが100件を超えている店もあるようです。
新築現場の順調な快復には未だ先が見えていません。
また、今年は秦野市議会議員選挙が行われ、大勢の方々にお世話になりました。
秦野市の予算編成が行われていますが、大変厳しい財政運営が予想されます。何が必要で何が無駄なのかしっかりと議論していかなければなりません。
市長には秦野市の未来像をどのように描き、どのように導いていくのか問いただしていきます。
平成二十四年が良い年になるように願います。
2011年12月29日木曜日
2011年12月27日火曜日
新政クラブ、本年最後の街頭演説
今年は市議会議員選挙が行われ、改選後に新たに新政クラブを結成しました。
旧市政会が行っていた、毎議会終了後行っていた街頭からの市政報告を継承しています。
今日は会派構成メンバー6名の参加の下行われました。
私は一般質問で質問した、朝礼について、ラジオ体操について、領土教育について、成人式について、式典における国旗式の掲揚について報告しました。2011年12月24日土曜日
秦野リトルシニア野球協会グランド納め
一年間グランドを使わせていただいた感謝と来年への誓いを新たにしました。
年が明けると3年生は高校受験、入学と慌ただしい生活が待っています。
新年からは高校野球へ向けて準備を整えて、体作りをしっかりとして欲しいです。
2年生は春の大会が2月から始まります。休みの間も自己練習に励むよう激励をしました。
1年生はこの8ヶ月で大変たくましくなりました。2年生になると一段と成長する次期になりますので、怪我に気をつけて切磋琢磨するように激励しました。
今日は、親子対決などのソフトボール大会も同時に行い、賑やかなうちにグランド納めを終えることができました。
来年も秦野シニアの活躍に期待します。
頑張れ秦野シニア!!
2011年12月23日金曜日
天皇誕生日を祝いましょう。
本日23日は「天長節」。
今上陛下のお誕生をお祝いする、とってもおめでたい日です。
美しい日の丸、国旗を家庭に掲げて、お祝いを致しましょう。
友基の会相原会長など6名で一般参賀に行きました。
今年は震災もあり、日本人には忘れられない一年になりました。
天皇陛下も体調を崩し入院もいたしました。
今日の一般参賀には元気な姿でお出ましになり、お言葉を頂きました。
今上陛下のお誕生をお祝いする、とってもおめでたい日です。
美しい日の丸、国旗を家庭に掲げて、お祝いを致しましょう。
友基の会相原会長など6名で一般参賀に行きました。
今年は震災もあり、日本人には忘れられない一年になりました。
天皇陛下も体調を崩し入院もいたしました。
今日の一般参賀には元気な姿でお出ましになり、お言葉を頂きました。
高齢になり無理をなさらずに、いつまでも私たちを見守りくださることを願っています。
2011年12月22日木曜日
勤労奉仕団の始まり
明日は天皇陛下の誕生日です。
皇室のことを知りましょう!
知るほどに面白い『日本』 日本を知る会メールマガジンNo107より
~始まりの勤労奉仕~
昭和20年・東京
かつて帝都とよばれた首都東京は度重なるBー29の空襲により焦土と化していました。
皇居もまた、この空襲から逃れることは出来ず、明治時代に建てられた端正雄大な宮殿は焼け落ち、外も内も荒れ放題。
昭和天皇は、吹上御苑内の御文庫内で暮らしていました。
そんな時代の昭和20年11月22日。国破れGHQの占領下にあったこの日。
皇居に2人の青年がやって来ました。1人は、宮城県栗原郡の青年団運動のリーダー鈴木徳一氏もう1人は宮城県栗原郡出身で、東久邇宮内閣の緒方竹虎国務大臣の秘書官だった長谷川峻氏、彼らは、対応に当たった筧素彦総務課長(当時)に次のような申し出をしました。
「皇居前広場が戦災のため荒廃し見る影もなく、おいたわしい限りであるので、是非清掃をさせていただきたい。」と皇居の清掃を申し出たので、地元には、皇居の清掃にあたりたいと願う青年男女がすでに60名いるというのです。
この申し出に対し筧氏は「この申し出を組織の意思決定の形で許可を出したら、GHQの占領下、万が一の場合、上に迷惑が及ぶかもしれない」と考え、信頼するただ1人の上司に話しをし内諾を得て、その場で許可を出したのでした。
天皇陛下のお側で仕える宮内省に、前例のない申し出をしたのだから、許可まで時間がかかると思っていた2人は、これには驚きを隠せませんでした。
かくして、青年団の草刈は12月8日に決まったのでした。
皇居り草刈のために上京する青年達の集まりは「皇国(みくに)奉仕団」
団長 鈴木徳一 副団長 長谷川峻の下男性55名、女性7名の計62名それに、オブザーバーとして早大教授木村毅が加わっていました。
当時はアメリカの占領下で国家主権のない時、皇居の各門にもMPが立っている状況でした。ですので、GHQが、彼ら奉仕団にどのような対応をとるかも分からないので数名の女子の中には両親と水盃を酌み交わしてきた人もいました。
そして12月8日
皇居坂下門に到着した「皇国奉仕団」一行は門衛の皇居警察官を通して次のように申し出をしました。
「私たちは宮城県栗原郡の各村の者ですありますが、二重橋前の広場に雑草が生い茂っていて、大変荒れているということを聞きましたので、草刈やお掃除のお手伝いのために上京しました。」
この知らせを筧素彦総務課長から聞き、対応にでてきた木下道雄侍従次長(当時)は、彼らが思ってもいなかった提案を口にしました。
「一同の厚意に謝するとともに、遠路はるばる上京されたのだから、二重橋前もさることながら、皇居の内は人手不足のため、宮殿の焼け跡には、いまだ瓦やコンクリートの破片がいたるところに山積みしている。
どうか皇居内にきて、それを片付けて下さらぬか」と、この思いがけない申し出に青年団の人たちは感激したいそう喜んだそうです。
そして、奉仕初日、一同にとってさらに驚くべきことが起きたのでした。正午過ぎ、皇居内に入り宮殿の焼け跡整理をしていた奉仕団の所に、奉仕団の事を聞いた天皇陛下がやって来られたのでした。
陛下が来られたことに奉仕団の人々が驚く中、お付の人から呼ばれた鈴木氏が陛下の御前に行くと「作の状況はどうか、栗原郡はどういうところか」などど御下問を受けました。
このように、陛下との会話は約30分ほど行われ、
「ご苦労」といって、御政務所へお帰りになられる時、奉仕団の間から「君が代」が沸き起こりました。
この時、陛下は立ち止まり、じっと聞き入っておわれたそうです。
そして、「君が代」を歌う人々の目には、いつしか大粒の涙が光っていたそうです。
また、陛下が去った後に、香淳皇后も同じ場所にお出ましになられ、8名の女子団員に声をかけ、労をねぎらいました。
これが、今に続く「皇居勤労奉仕団」の始まりでした。
この「皇国奉仕団」の事が、各地に知れ渡ると「皇居へ奉仕に伺いたい!」と、次々と奉仕団が結成され、宮内庁に申し出が殺到!
翌21年には188の奉仕団から申し出があり、一万人余の人々が勤労奉仕に参加しました。
そしてピークは昭和26年で、831団体、4万人近くの人々が奉仕活動をしたのでした。
第一次世界大戦のドイツ、そして、第二次大戦のイタリアと、国の総力戦で敗れた君主制はみな滅びています。
なのに、日本では天皇に対する反対行動も起きず(共産党とかは除く)、それどころか旅費や食費、宿代すべて、自己負担にもかかわらず、奉仕団が結成され次から次へと皇居にボランティアでやってきて清掃活動をするのですから、当然の如くGHQは「背景に強力な組織があり、巨額な資金を使い何かよからぬことを企んでいるんじゃなかろうか?」疑念に思い独自に調査を行いました。
しかし、当然の如く、何も見つかりませんでした。
当然です。
そこには、国民を想う天皇と天皇・皇室を想う国民との純粋な絆しかなかったのですから・・・・・
-----------------------------------
昭和天皇、昭和二十一(1946)年の御製
戦に やぶれし後の 今もなほ 民のよりきて ここに草とる
をちこちの 民のまゐきて うれしくも 宮居のうちに 今日もまた会ふ
-----------------------------------
「荒廃したた皇居をなんとかしたい」と、いう宮城県の青年達の熱い想いから始まった皇居勤労奉仕。
平成の現在に至るまで、一度も途切れることなく続いており、昭和20年から現在までで約120万人の人が勤労奉仕に参加しています。
ちなみに、現在の、勤労奉仕は、15人以上から申し込めて、平日の4日間,皇居と赤坂御用地で除草,清掃,庭園作業などを行います。
天皇陛下に間近で会える数少ない機会なので、参加してみたい人は宮内庁のHPで仔細を確認して参加してみてはいかがでしょうか?
参考資料・サイト
「勤労奉仕」誕生秘話
高森明勅 SAPIO 2009年2月11-18日合併号
宮内庁HP
www.kunaicho.go.jp/
仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル
http://plaza.rakuten.co.jp/odazuma/diary/200908060000/
2011年12月21日水曜日
稀有な運命で救われた日本人
知るほどに面白い『日本』 日本を知る会メールマガジンNo109より
1993年のパリ・ダカールラリーでの話。
日本人のアマチュア・ドライバーが運転する四輪駆動車が、モーリタニアの最西端ヌアジブから首都ヌアクショットに向かう途中、マンガール村という小さな漁村近くで、砂漠に突き出た岩山に激突、大破した。
ドライバー、ナビゲーターともに複雑骨折などの重傷を負ったが、車はペシャンコで、自力で車外に出ることもできない。発見が遅れれば死んでいただろう。が、運よくそこに、ラクダを引いたひとりの少年が通りかかった。
惨状を目にした少年は、自分の村まで取って返すと、「お父さんたちが乗っている漁船と同じマークの付いた自動車が岩に突っ込んだ。早く助けてあげて」と叫んで回った。漁船と同じマークとは、日本の国旗のことである。
「日本の車」と聞いて、村人たちはスワッ一大事。漁に出ている者も呼び戻すと、村人総出で救出に向かった。2人の日本人は、村から軍の駐屯地へ、さらにヘリコプターで病院へと迅速に搬送され、そのお陰で2人とも一命を取り止めることができたのだった。
ところで、マンガール村の人たちはなぜ、「日本の車」と聞いて救出に躍起になったのか。なぜ漁船に日の丸が貼ってあったのか。その理由を知る日本人は少ない。事故に遭った日本人がその理由を知ったのも、後のことだった。
この村では、ほとんどの人が漁業で生計を立ててきたが、漁船といっても小さな手漕ぎボートしかなかったために、大西洋の荒波を越えて沖合いに出ることもままならない。漁獲量も知れたものだった。
それを知った日本は1992年、沿岸漁業振興計画の一環として、無償援助で漁船や船外機をこの村に贈ったのだが、その際、モーリタニアと日本の友好の印として両国の国旗を並べて貼った。事故現場に遭遇した少年は、その「日の丸」を見覚えていたのだった。
その後も日本は、当初の計画通り、1994年にも漁船45隻、船外機61機を無償供与し、モーリタニアの沿岸漁業の漁獲高は大幅に伸びた。日本の技術指導によってエンジンの整備士も育ち、漁船エンジンの修理も自前でできるようになった、という望外の成果も上がった。
そんなわけで、マンガール村の人たちの日本に対する感謝の気持ちは並々ならぬものがあったのだが、日本に恩返しをしたくても、その手立てが見当たらない。パリ・ダカの日本人の事故は、彼らが日本に恩返しをする千載一遇のチャンスとなったのである。
稀有(けう)な運命の巡り合わせが、日本とモーリタニアの友好を、さらに深めることになったのはいうまでもない。
参考資料・サイト
外務省 ODAちょっといい話
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/hanashi/story/africa/other1.html
.西アフリカの漁業振興(セネガル・モーリタニア)http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hyouka/kunibetu/gai/h11gai/h11gai035.html
メルマガ発行:「日本を知る会」
http://日本を知る会.jp/
2011年12月19日月曜日
秦野シニアの3年生が久しぶりに試合を行いました。 子ども達の成長した姿にびっくりです。
コベルコマテリアル銅管グランドに神奈川県中体連優勝校、関東学院のメンバーを中心に結成されている関東学院クラブを招いての試合です。
結果は大差で勝利させていただきました。
対戦相手も随所に良いプレーが出ていましたが、硬式にまだ慣れていない感じです。
捕球時にグラブが上から入り、体に近い所にあるために、ボールにグラブが弾き飛ばされていました。しかし、今後硬式になれてくれば、かなり良い成績を残すと感じました。
秦野の3年生は約3ヶ月間、きつい練習は避け、体のケアや高校見学をしていました。
その結果、体は一回り大きく成長しました。
井関監督が成長期の子ども達に追い込む練習ばかりではなく、減り張りを付けて指導した結果です。
これからは、進路が決まった3年生は高校入学までに少し体を絞り、高校野球について行ける体作りをしていきます。
2011年12月16日金曜日
日本会議神奈川西湘北支部会議
2011年12月7日水曜日
格言の勉強会《慈悲寛大自己反省》
月に一回モラロジー研究所平塚事務所の主催で教職員を中心に格言の勉強会が行われています。
講師は北雄二先生です。私もモラロジーの維持員でもありますので参加していますし、市PTAの会長なども参加しています。
はじめに唱歌を合唱して勉強会が始まります。今日の歌は『お正月』で、本題の格言は『自己の抑損して賢と良を推奨す』です。
講師は北雄二先生です。私もモラロジーの維持員でもありますので参加していますし、市PTAの会長なども参加しています。
はじめに唱歌を合唱して勉強会が始まります。今日の歌は『お正月』で、本題の格言は『自己の抑損して賢と良を推奨す』です。
2011年12月6日火曜日
北朝鮮人権侵害問題週間
「グランパ」を視察
女性宮家創出の本質的問題
2011年12月5日月曜日
12月一般質問
1 学校教育について
2 各種イベントと式典について
学校教育に付いては主にラジオ体操と領土教育、そして朝礼について問をいたしました。
秦野市の学校ではラジオ体操を実施していない学校があります。子供育成会主催のドッチボール大会の準備体操がしっかりと身についていない子どもが目立ち、社会人になり職場で行うラジオ体操ができず、苦労する事も考えられるので、市内全校でラジオ体操を教育するべきと指摘しました。又、同時に運動会のプログラムにラジオ体操を位置づけるようお願いをいたしました。
朝礼については塚本幼稚園の実践を紹介しながら朝礼を実施するように要望しました。
http://shiseikai-kosuge.blogspot.com/2011/10/blog-post_15.html
領土教育については、第19回日本会議首都圏地方議員懇談会・幹事会で新藤義孝衆議院議員・下村博文 衆議院議員・稲田朋美衆議院議員・佐藤正久参議院議員から教えて頂いた、お話を引用しながら現在、使われ地図は日本の領土を切り貼りして掲載している欠点を指摘して、真正日本国図や東アジア地勢図を教材として取り入れるべきと要望しました。
各種イベントと式典については、成人式、市民の日、次第の統一性について質問をしました。
成人式を厳粛かつ静粛に行うために国歌斉唱を行うことや市が行うプログラムの概要に沿って行うように要望し、市長にも強い気持ちで臨むように励ましました。
http://shiseikai-kosuge.blogspot.com/2011/01/blog-post_9800.html
市民の日については、私の個展の出展基準に則していない個展が数店あった事実を追求して再発防止に努めるように要望しました。
次第の統一性については、各種式典において必ず国旗・市旗を掲揚するように要望し、表彰がある式典は国歌斉唱の実施をお願いしました。
第7回はだの丹沢水無川マラソン
2011年12月3日土曜日
9月議会一般質問
一 スポーツ施設等について
問 スポーツに親しむことは、明るく元気に生活を送る上で極めて大きな意義を持っているが、本市のスポーツ環境は大変厳しい状態である。野球は時間制限で、サッカーは狭いグランドで試合をしている。
また、陸上競技場のトラックは土のため冬季は3か月間使用禁止となる。このようなスポーツ環境をどう認識しているのか。
答 施設の利用状況は増加傾向で、特に野球とサッカーは利用できる施設が限られており、利用できない場合があることも認識している。今後もスポーツ環境の向上に向けらに努力していきたい。
要望 水無川マラソンの10㌔㍍の部を復活させてほしい。
二 入札制度について
問 最低制限価格を75%に設定しているが、今後の考えはどうか。
答 コストに見合った適正な価格より受注できることが望ましいと考えており、入札執行状況の精、分析などを行い、適正な価格について絶えず検討していきたい。
三 パブリックコメント等について
要望 市民からの意見は議員が聞、市長とやりとりするのが普通と思うが、それを行わず、市長部局が市民からパブリックコメントにより直接意見を聞くことを危ぐしている。また、要綱における市民の定義があいまいと感じるため、見直しを考えてほしい
問 スポーツに親しむことは、明るく元気に生活を送る上で極めて大きな意義を持っているが、本市のスポーツ環境は大変厳しい状態である。野球は時間制限で、サッカーは狭いグランドで試合をしている。
また、陸上競技場のトラックは土のため冬季は3か月間使用禁止となる。このようなスポーツ環境をどう認識しているのか。
答 施設の利用状況は増加傾向で、特に野球とサッカーは利用できる施設が限られており、利用できない場合があることも認識している。今後もスポーツ環境の向上に向けらに努力していきたい。
要望 水無川マラソンの10㌔㍍の部を復活させてほしい。
二 入札制度について
問 最低制限価格を75%に設定しているが、今後の考えはどうか。
答 コストに見合った適正な価格より受注できることが望ましいと考えており、入札執行状況の精、分析などを行い、適正な価格について絶えず検討していきたい。
三 パブリックコメント等について
要望 市民からの意見は議員が聞、市長とやりとりするのが普通と思うが、それを行わず、市長部局が市民からパブリックコメントにより直接意見を聞くことを危ぐしている。また、要綱における市民の定義があいまいと感じるため、見直しを考えてほしい
八田與一の功績
2011年11月22日火曜日
防人に感謝
18日対馬、海上自衛隊・対馬防備隊に視察に伺った。
国境を守る最前線です。感謝。
国境を守る最前線です。感謝。
しかし、竹島を不法占拠している韓国が次は対馬を狙っている。
自衛隊の敷地を囲むように韓国人に土地を買われている。隣接のホテルには天皇陛下が行幸啓なさった記念碑がありますが、現在は韓国人ホテルになっているために自由に行くことができません。
そして、夜酒を飲んだ韓国人が対馬は韓国の物だと言って騒いでいることもあると伺った。
この様な状態の仲、黙々と国境を守る防人には感謝の一言です。
この防備隊がいなければすぐに韓国は対馬を乗っ取るでしょう。
尖閣諸島問題で我が国が抱える大きな問題が浮き彫りになったのではないか?
自衛隊を暴力装置と言った官房長官は、この様な状態を知っているのか疑問を感じる。
いや!韓国に領土を取られても仕方がないと思っているのかもしれない??鳩山元首相は日本は日本人だけの物ではないと言った。
青年会議所が行った調査では地図上に国境を示すとラインをきちんと引けた高校生は10%台であったそうです。
領土教育にも力を注がなければなりません。
現在、東アジアでは中国が南モンゴル、東トルキスタン(ウイグル)、チベットを制圧して民族存亡が危ぶまれています。
南シナ海においても領海争いを繰り返しています。
この様な状態の中で昨年起きた尖閣諸島事件、自衛隊に対して正しい教育が必要です。
この様な状態の仲、黙々と国境を守る防人には感謝の一言です。
この防備隊がいなければすぐに韓国は対馬を乗っ取るでしょう。
尖閣諸島問題で我が国が抱える大きな問題が浮き彫りになったのではないか?
自衛隊を暴力装置と言った官房長官は、この様な状態を知っているのか疑問を感じる。
いや!韓国に領土を取られても仕方がないと思っているのかもしれない??鳩山元首相は日本は日本人だけの物ではないと言った。
青年会議所が行った調査では地図上に国境を示すとラインをきちんと引けた高校生は10%台であったそうです。
領土教育にも力を注がなければなりません。
現在、東アジアでは中国が南モンゴル、東トルキスタン(ウイグル)、チベットを制圧して民族存亡が危ぶまれています。
南シナ海においても領海争いを繰り返しています。
この様な状態の中で昨年起きた尖閣諸島事件、自衛隊に対して正しい教育が必要です。
写真は行幸啓碑の前で対馬防備隊・末松指令一等海佐と
2011年11月12日土曜日
秦野市交通・防犯市民のつどい
秦野市交通・防犯市民のつどいの式典に参加しています。
市長・石井秦野警察署長の挨拶では市内の交通事故件数は減少しつつあり交通安全協会や市民の皆さんのご協力いただいた成果でさらなる減少に勤めたい。また、防犯活動も皆さんのご協力をいただいて抑止力強化に勤める事と更なる協力を訴えていますいました。
市長・石井秦野警察署長の挨拶では市内の交通事故件数は減少しつつあり交通安全協会や市民の皆さんのご協力いただいた成果でさらなる減少に勤めたい。また、防犯活動も皆さんのご協力をいただいて抑止力強化に勤める事と更なる協力を訴えていますいました。
そして交通安全運動や防犯活動に多年に渡り積極的に取り組んだ方や団体に対して秦野市長・秦野警察署長・交通安全協会会長・防犯協会会長から表彰状と記念品が渡されました。
「自然学」プロジェクトiN秦野
里山のつどい・日本デザインフォーラム
11日12日の二日間にわたり上智大学を中心にオープンガレッジやフォーラム、秦野市での里山再生の取り組みの紹介などが行われます。
オープニングはアルプホルンの演奏と堀川小学校の子供達による合唱演劇、締めるのは白井貴子さんと小学生による「森に行こう」です。
皆さんお誘い合わせてご参加ください。
2011年11月10日木曜日
倉敷市リサイクルプラザ「クルクルセンター」
倉敷市リサイクルプラザ「クルクルセンター」に行って来ました。
天婦羅油からバイオ燃料を作っていたり、新聞雑誌、びん、など様々な搬入がされリサイクルしていました。中でも家具をリホームして再利用しています。また、牛乳パックを利用して紙透体験ができます。
倉敷市は平成21年度リサイクル率は全国一位です。
秦野市も見習う所がたくさんあり、リサイクル率向上にもっと取り組むべきです。
天婦羅油からバイオ燃料を作っていたり、新聞雑誌、びん、など様々な搬入がされリサイクルしていました。中でも家具をリホームして再利用しています。また、牛乳パックを利用して紙透体験ができます。
倉敷市は平成21年度リサイクル率は全国一位です。
秦野市も見習う所がたくさんあり、リサイクル率向上にもっと取り組むべきです。
視察中てす
昨日は善通寺市の花のまちづくりについて勉強しました。
フラワー&ガーデンフェスタではガーデンコンテストなどを行うことで市民意識の向上をする事につなげ、市民自ら自宅や道路のプランターや公園に植栽をする事が加速し、その結果「フラワーツーリズム賞」の受賞になりました。
視察後は事務局のはからいで弘法大師様、御誕生の善通寺に駆け足で行きました。
今日は高松市の栗林公園の周りでジョギングしました。
これから倉敷市に移動してリサイクルプラザ「クルクルセンター」の視察にむかいます。
フラワー&ガーデンフェスタではガーデンコンテストなどを行うことで市民意識の向上をする事につなげ、市民自ら自宅や道路のプランターや公園に植栽をする事が加速し、その結果「フラワーツーリズム賞」の受賞になりました。
視察後は事務局のはからいで弘法大師様、御誕生の善通寺に駆け足で行きました。
今日は高松市の栗林公園の周りでジョギングしました。
これから倉敷市に移動してリサイクルプラザ「クルクルセンター」の視察にむかいます。
2011年11月6日日曜日
2011年11月3日木曜日
心からお見舞い申し上げると共に、早期回復をお祈りいたします。
日本李登輝友の会メルマガよりhttp://www.ritouki.jp/
1>> 李登輝元総統が大腸癌の手術 術後は良好
11月1日の夕刻、3日から始まる16回目の「台湾李登輝学校研修団」の運営について、台
... 湾の群策会教育処の担当者と打ち合わせしていた。すると、最終日の7日に予定している李
登輝学校校長でもある李登輝元総統の特別講義はなくなり、代りに国立國史館元館長(大
臣に相当)で台湾史研究者の張炎憲博士の講義でよいかと言う。
李元総統の特別講義がなくなったとはどういうことかと尋ねると、担当者は口ごもりつ
つ入院したからだという。それで初めて李元総統が何らかの事情で入院したことが判った。
翌日午前2時くらいにTVBSがニュース速報で第1報を流し、蘋果日報や中央社なども
速報で伝えていた。そのニュースを見て、10月30日と31日の定期健診で大腸癌が発見され、
11且1日の夜7時ころから手術をしていたことが分かった。
振り返ってみれば、群策会教育処の担当者と打ち合わせしていたのはちょうど手術が始
まる直前だったようで、担当者が口ごもっていたことをようやく得心した次第だ。
幸い術後の経過は良好で転移の可能性も少なく、以前に手術した心臓にも問題はないと
のことでホッとしたが、10日間は安静にしていなければならないとも報じられていた。
つまり、7日の特別講義は無理ということで、台湾李登輝学校研修団の参加者には残念な
結果になった。しかし、李元総統自伝を4巻にまとめた張炎憲博士による代講もさることな
がら、「台湾歌壇」代表で李登輝民主協会理事長もつとめる蔡焜燦氏にもご講話いただく
こととなり、ダブルキャストで臨んでいただくという。
このような豪華な代講も、李登輝学校ならではの措置だ。有難いことである。後は李元
総統の無事の退院とご本復を祈るばかりだ。
下記に、日本語のニュースとしてはもっとも詳しく報じている共同通信記事を掲載した
「日刊スポーツ」の記事をご紹介したい。また、本誌読者からのお見舞いも届いているの
で「読者の声」で紹介したい。本誌ではお見舞いメッセージも受け付けています。続きを読む
市民の日
2011年11月2日水曜日
2011年10月29日土曜日
日本猛抗議で国旗はがした中国“白旗”…アジア杯は中国人主審ゼロに
産経新聞より
2010.10.23 09:00 (1/2ページ)
サッカー界は、きちんと中国にイエローカードを突きつけた。アジアサッカー連盟(AFC)は、来年1月に行われる第15回アジア杯(1月7日-29日・カタール)で中国人の主審をひとりも選出しなかった。これは複数の中国人の元国際主審が国内のサッカー賭博にかかわり、逮捕されたことで、アジア杯を主催するAFCが決意したものだ。(夕刊フジ編集委員 久保武司)
また日本も中国に対し、毅然とした態度で臨んでいる。尖閣諸島問題で中国国内で反日ムードが高まる中、今月4日に中国で開催されたU-19アジア選手権の日本対UAE(アラブ首長国連邦)戦で、観客の男性が会場に掲げられていた日本国旗を引きはがす事件が起きた。
これを問題視した日本協会・小倉純二会長(72)が、中国サッカー協会のチャン・ジロン副会長に直接電話で抗議。尖閣諸島問題でおよび腰の日本政府とは違い、迅速な行動で中国サイドにこちらもイエローカードを突きつけた格好だ。
21日、中国出張から帰国した小倉会長は「一人の大学生が3メートルの高さにあった国旗を引きはがした」と確認した上での抗議だったことを明かした。同じUAE戦では試合前、中国人とみられる男がグラウンド内に乱入し、日の丸を奪って逃げるという事件も発生。尖閣諸島問題では強硬な中国側も、サッカーでは日本側の抗議に「謝罪」したという。
中国では北京五輪、上海万博の次は「2026年サッカーW杯誘致だ」と怪気炎をあげている。しかし、国際サッカー連盟(FIFA)の関係者は「中国でサッカーW杯を行うことは到底賛同できない」とすでにNGを突きつけている。 理由は、中国国内のサッカーに対する環境が整っていないことなどをあげている。
中国リーグでは、ここ2シーズン連続でサッカー協会の幹部が八百長問題で逮捕された。日本協会関係者によると、八百長は「中国では死刑になる可能性すらある重罪」で観客も減少の一途。あまりのひどさに国内では、「サッカー関係者には強制労働をさせるべき」という声もあがっている。
一方で、日本のサッカー関係者の間には「サッカー日中戦」の開催への機運が高まっている。「いま実現すれば、それこそ日韓戦よりも話題沸騰になることは間違いない」。日中両国の緊張関係に“便乗”してのマッチメーク。盛り上がることには違いないが…。
いずれにしても、フェアプレー精神に欠ける中国に対し、FIFA、AFC、日本協会が正面から「イエローカード」を突きつけた。サッカー外交では、これが、当たり前である。http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110111/scr11011122260125-n1.htm
中国に道徳心は無いようだ!未だに世界中にコピー商品を売りまくり、国内では知的財産の概念もないようだ。
偽りの国中国。中国の実態をもっと子ども達に伝えるべきです。
南シナ海での領海争いを聞くたびに尖閣諸島問題もこれから益々激しく攻撃してくることが予想されます。
尖閣諸島の廻りにはここは中国だと記した石がたくさん投げ込まれているそうです。
何百年かけても取りに来ています。
やはり中国と呼ぶのではなく支那と呼びましょう。
2011年10月28日金曜日
街頭にて市政報告
27日新政クラブ7名全員で秦野市内4駅で市政報告を行いました。
旧市政会のメンバーは定例会事に4駅中心に街頭から報告をしていましたが、旧秦政会のメンバーは初めての方が多く最初はとまどっていました。しかし鶴巻駅から初めて次の東海大学前駅になると選挙戦を彷彿させる熱弁が始まりました。
私たち市議会議員の働きが解りにくいとよく言われますが地道にこの様な活動を続けていきたいと考えています。
今回の報告は一般質問の内容を報告しました。
一 スポーツ施設等について
問 スポーツに親しむことは、明るく元気に生活を送る上で極めて大きな意義を持っているが、本市のスポーツ環境は大変厳しい状態である。野球は時間制限で行い、サッカーは小さなグランドで試合をしている。陸上競技場のトラックは土のため冬季は3か月使用禁止になる。このようなスポーツ環境をどのように認識しているのか。
答 施設の利用状況は増加傾向で、野球、サッカーについては利用できる施設が限られており、利用したいときに利用できない状況も認識しており、スポーツ環境の向上に向けさらに努力していきたい。
要望 水無瀬マラソンの10キロメートルの部を再度実施して欲しい。
二 入札制度について
問 最低制限価格を75%に設定しているが、今後の方向性についてはどのようか。
答 コストに見合った適正な価格により受注できることが望ましいと考えており、他市の状況も参考にしながら検討していきたい。
三 パブリックコメント等について
要望 市民からの意見は議員が聞き、市長とやりとりをするというのが普通だが、それを行わず、市長部局が市民にパブリックコメントとして直接意見を聞くことは危険と感じる。また、要綱の中でも市民の定義があいまいと感じるため、見直しを考えてほしい。
2011年10月26日水曜日
西地区市政懇談会
西地区市政懇談会が行われました。
地域まちづくり計画からあらかじめ抽出した問題点を市執行部が報告し、それに対して質問が行われました。
他地域との整合性をどのように計るのか?計画に具体性が欠ける、将来の姿が見えづらいなど・・・・質問が行われた後、市政全般に対する質問が行われました。
秦野市の公共施設再配置計画でシンボル事業に位置づけられている西中学校体育館と西公民館の複合施設について誤解があるようです。
このシンボル事業を進めるにあたり、シンボル事業調整ワーキンググループ会議を開催しています。その一環でシンボル事業の検討素材となるアイデアを募集したことで、すでに複合施設の内容が全て決定してしまったと言う誤解を招いているようです。
この懇談会でその誤解が無くなり、一安心です。
2011年10月17日月曜日
日本酒で乾杯
今日の産経新聞に世界中の日本大使館で行われる天皇誕生日の祝賀会での「日本酒で乾杯を」という記事が掲載されています。
世界的に乾杯というのは「国酒」で行われるのが通例であります。フランスではワイン、ドイツではビール、ロシアではウォッカです。しかし身近に行われている乾杯は「とりあえずビール」など・・・・国酒と日本酒は扱われていません。
この様な現状をふまえ、2004年6月に日本酒造組合中央会が推進役となり”日本酒で乾杯”をキャッチフレーズに「日本酒で乾杯推進会議」が発足されました。
私も秦野青年会議所で講師として招いた「沢の鶴」西村社長のすすめで「日本酒で乾杯推進会議」の会員になっています。
運動が始まって10年近くたちますがこうした成果を勝ち取る事ができて本当にうれしく思います。
日本酒で乾杯推進会議ホームページhttp://www.sakedekanpai.jp/
「日本酒で乾杯推進会議」設立趣意書~日本文化のルネッサンスを目指して~
“最近のニッポン人には日本が足りない”と多くの心ある日本人は、今日の日本、明日の日本に危惧の念を抱いているのではないでしょうか。
日本が誇りとすべき伝統的な食文化や伝統芸能、伝承していくべき作法や風習もグローバルスタンダードとか高度情報化社会というものの表面的な形にとらわれて次第に失われていこうとしています。
今日のわが国の社会では、学校教育の現場や家庭において、個人の自由とか個性の重視ということにはしるあまり、自己中心主義や物質中心主義が横行し、日本人の美徳であるべき節度や謙譲、和の精神、感謝の念や恥の意識といったかけがえのない「心」が失われてきているように思われます。
また、昨今では冠婚葬祭などの際に行われる伝統的な酒宴までもが形骸化し、日常の食生活においてはファストフードなどの新洋食化が進み、長年培われてきた優れた日本人の味覚は後退し、日本の食文化や生活文化はその存立の基礎を失いつつあります。このままでは、日本社会の荒廃がますます進み、日本人はその誇りを失い、日本の国、日本の文化すべての存続が危うくなってきます。
しかし、一方で、和食や日本酒の海外普及は目を見張るようになりました。欧米では和食や日本酒の評価は年々高まりつつありますが、これも裏を返せば日本の自然と先人の知恵の結晶である日本酒や和食を通して日本文化のよいところが認められているからであり、私どもは日本の素晴らしい文化をしっかりと守り育てていかなければなりません。
私たち日本人は集まって食事をするとき乾杯します。「みなさまのご発展とご健勝を祈念して…」何に向かって祈るのでしょうか。神様、仏様とかを対象とする特別の宗教心ではありません。我々の人知や人間の力を超えたものすべてに対して謙虚に祈るのではないでしょうか。
ニッポン人の心の奥底に宿るものと触れ合うとき、日本人の誇りは甦り、新たな力が湧いてくるのではないでしょうか。
「日本酒で乾杯!」という言葉を象徴にし、日本の文化のよいところを広く啓蒙していく活動を進めていくことが今程必要な時はありません。この運動は、ひとり日本酒業界による日本酒復権運動を目指すものではありません。象徴的なおこないとしての「日本酒で乾杯!」を通じて、日本文化のルネッサンスを広く国民運動として広げていこうとするものです。
2011年10月15日土曜日
大阪へ個人的に視察に行ってきました。
「塚本幼稚園」
草莽全国地方議員会の仲間からお誘いを受けて大阪にある塚本幼稚園と西成区のあいりん地区の視察に行ってきました。
塚本幼稚園では毎朝9時30分から朝礼が行われます。気をつけ、前に習え、ミミズのようにうねっていませんか?園長先生の大きな声が始まりの合図です。園長先生から今日一日の習い事や注意点のお話を伺った後に、全員で国歌、教育勅語を斉唱いたします。その後年長さんが五箇条の御誓文を斉唱いたします。
全員での斉唱は声が大きく大変立派です。
国語の授業には石井式国語教育、特徴的な授業として体育にラクビー、論語、将棋が取り入れられています。
体育にはラクビーを取り入れて、試合を行いどうしたら勝てるか、負けないための戦術を先生がしっかりと教えています。論語の授業も朗読では大きな声で行われています。将棋に至っては各教室には駒の動かし方が各教室に張ってあります。授業では年長さんになると、城の作り方、攻め方と言った戦術を駆使した対局が行われていました。11月1日には姉妹園との対抗戦が控えているとあって先生もかなり熱が入っていました。
大変特徴ある授業を観させていただきましたが、秦野市の幼稚園でも参考になることもたくさんあると思います。
「あいりん地区」
いわゆるドヤ街です。住民の3分の1が生活保護を受けている地区です。
西成区萩之茶屋周辺のJR大阪環状線新今宮駅より南に位置するドヤ街で日雇労働者の就労する場所となっています。
あいりん労働公共職業安定所の中や周辺を炊き出を行っているNPOの方の案内で見て回りました。実際に足を踏み入れると怖い感じがしましたが、窓口にはいろいろな資格取得の案内が出ています。
周辺のホテルは一泊1000円程度から宿泊できる所もあるそうです。
これから皆さんの生活が少しでも改善されることを願っています。
草莽全国地方議員会の仲間からお誘いを受けて大阪にある塚本幼稚園と西成区のあいりん地区の視察に行ってきました。
塚本幼稚園では毎朝9時30分から朝礼が行われます。気をつけ、前に習え、ミミズのようにうねっていませんか?園長先生の大きな声が始まりの合図です。園長先生から今日一日の習い事や注意点のお話を伺った後に、全員で国歌、教育勅語を斉唱いたします。その後年長さんが五箇条の御誓文を斉唱いたします。
全員での斉唱は声が大きく大変立派です。
国語の授業には石井式国語教育、特徴的な授業として体育にラクビー、論語、将棋が取り入れられています。
体育にはラクビーを取り入れて、試合を行いどうしたら勝てるか、負けないための戦術を先生がしっかりと教えています。論語の授業も朗読では大きな声で行われています。将棋に至っては各教室には駒の動かし方が各教室に張ってあります。授業では年長さんになると、城の作り方、攻め方と言った戦術を駆使した対局が行われていました。11月1日には姉妹園との対抗戦が控えているとあって先生もかなり熱が入っていました。
大変特徴ある授業を観させていただきましたが、秦野市の幼稚園でも参考になることもたくさんあると思います。
「あいりん地区」
いわゆるドヤ街です。住民の3分の1が生活保護を受けている地区です。
西成区萩之茶屋周辺のJR大阪環状線新今宮駅より南に位置するドヤ街で日雇労働者の就労する場所となっています。
あいりん労働公共職業安定所の中や周辺を炊き出を行っているNPOの方の案内で見て回りました。実際に足を踏み入れると怖い感じがしましたが、窓口にはいろいろな資格取得の案内が出ています。
周辺のホテルは一泊1000円程度から宿泊できる所もあるそうです。
これから皆さんの生活が少しでも改善されることを願っています。
2011年10月4日火曜日
蔡英文さんを囲む会に参加
台湾では来年1月に総統選挙が行われます。現在は野党に下野した民進党主席蔡英文さんは立候補を表明し国民党の現職総統の馬英九氏に戦いを挑むことが決まっています。選挙を目前に控えた中、日本を訪問されると聞き囲む会に出席してきました。
日本政府は「1つの中国」の原則下で台湾(中華民国)を独立した主権国家として認めていません。しかし日本にとって歴史的に見ても地政学的に見ても日本の東アジアにおいて最強のパートナーにしていかなければならないのが台湾だと思います。
現在の台湾国民党政権は中国よりとの評価で将来、台湾が独立を勝取るには民進党主席蔡英文さんの総統就任が絶対条件だと思います。
来年の総統選挙で民進党主席蔡英文さんが勝利することを望みます。
今回は私が所属している日本李登輝友の会からのお誘いを受けて行ってきました。日本李登輝友の会 http://www.ritouki.jp/
以下、「日本李登輝友の会」のメールマガジン「日台共栄」からの引用です。
日台共栄のためにあなたの力を!!
蔡英文氏が講演会で改めて日米安保の重要性とFTA推進に意欲を表明
昨日、東京・新宿区のハイアットリージェンシー東京において、日本蔡英文後援会の主催により台湾から来日した民進党主席の講演会が開催され、会場は立見もでるほどで400人以上が「台湾に求められている課題と日本の関係」と題した講演に聞き入った。
午後2時着のJAL便で羽田空港に着いた蔡氏は、先に来日していた許世楷・前駐日台湾代表夫妻や100人を超える人々の歓声に応えつつ、在日台湾婦女会から歓迎の花束を受け取り、同行の台湾や日本メディアに「日本との友好関係を確認したい」「台湾コンセンサスや対中国政策などを説明したい」と話した。
また、謝長廷・元行政院長や張富美・元僑務委員会主任、翁金珠、邱議瑩、頼坤成ら立法委員などの代表団も同行、民進党主席の来日では最大の同行者数で、同行報道陣も先般9月の訪米時より多かった。
講演会は郭孫雪娥・在日台湾婦女会名誉会長の「私が長生きしているのは、台湾の独立を見たいからです」との開会挨拶で冒頭から盛り上がった。
続いての来賓挨拶は、元駐タイ大使で外交評論家の岡崎久彦氏、ジャーナリストの櫻井よしこ氏、参議院議員の山谷えり子氏の3氏。
岡崎氏は、尊敬する牛場信彦・駐米大使が「死ぬまでに見たいものが二つあり、一つはベルリンの壁が崩れること、もう一つは台湾の独立をみること」と言っていたことを紹介しつつ「私も生きているうちに台湾の独立を見たい」述べた。また、蔡氏が駐米大使に指名されたことがあったことも披瀝した。
櫻井氏は東日本大震災での台湾からの支援に感謝の意を表しつつ、世界の脅威となっている中国の3つの侵略パターンを紹介、最後に「私が台湾人なら全身全霊で蔡英文さんの選挙を応援したい」と述べた。
山谷氏は、20数年前に『嫁姑戦争』という小説を書いて台湾で翻訳されたとき、台湾からは印税を振り込みたいという連絡があったが、中国でも翻訳されたのに「日中友好ありがとう」との連絡だけで未だに印税の振り込みがないというエピソードを披露、台湾が法治国家であるかを強調し「強い台湾は日本の最大の利益」と訴えた。
その後、許世楷氏より同行代表団の紹介、郭孫雪娥氏よりの花束贈呈とつづき、いよいよ蔡氏の講演となった。
蔡氏は薄いグレーの上着に白いTシャツ姿で、主催者が準備したバラの胸章も付けていない。通訳は、前北海道大学教授で、現在は民進党本部の情報部長をつとめる林成蔚氏。
冒頭、日本語で「皆さま、こんばんは。私は蔡英文です」と述べて盛大な拍手を受けつつ、岡崎氏が披露した駐米大使のことに触れ、赴任しなかったのはワシントンDCの日本料理食があまりにもおいしくないからと会場を笑わせつつも、両親の健康状態がよくなかったからと断った本当の理由を披瀝した。
講演は通訳を入れて約1時間に及び、現在の台湾には和解と団結が必要と訴え、「対日関係には台湾認識が存在する」「日米安保はアジア太平洋の安定に最も重要」「日台FTAを進めていきたい」と述べ、最後に総統選挙に触れ「もちろん勝つ自信はある」と述べにっこりと笑むと、会場は割れんばかりの拍手が鳴り止まなかった。
講演後の質疑応答では原発問題、教育改革問題、九二共識問題、尖閣諸島問題の4つの質問に対して応答した。原発問題では、福島と同じ規模の事故が起こったら避難先がない台湾の現状を説明し、2025年までに原子力発電に依存しない「脱原発」社会を目指す方針を示すも、極めて難しいテーマだがリーダーの強い決意をもって対応したいと応えた。
下記に講演の模様を伝える毎日新聞の記事を紹介したい。また台湾新聞が羽田空港や講演会の写真とともに記事を伝えているので併せて紹介したい。
◆台湾新聞ブログ「蔡英文氏、東京へ」
http://taiwannp.mita.minato.tokyo.jp/
2011年9月27日火曜日
もったいない!!
2011年9月26日月曜日
伊勢原市役所チームおめでとうございます。
2011年9月17日土曜日
■第19回日本会議首都圏地方議員懇談会・幹事会
平成23年9月15日(木)午後4時00分から衆議院第1議員会館・第5会議室(B1)で行われました。
一部の幹事会では新会長の吉村豊島区議会議員より就任のあいさつを頂きました。
その後、全国の教科書採択結果報告と八重山地区(沖縄県)の育鵬社公民教科書「逆転不採択」問題に関する経緯とこれまでに日本会議が取り組んできた尖閣諸島についての報告がされました。
二部の座談会では新藤義孝衆議院議員・下村博文 衆議院議員・稲田朋美衆議院議員・佐藤正久参議院議員より現在の中韓両国の領土問題に対する外交の現状を説明していただきました。
行政監視委員会の理事会において尖閣諸島への視察を行うために新藤衆議院議員らは現在最大限の努力をなさっているそうです。
また、佐藤参議院議員から地図の大切さや教え方などを詳しく教えていただきました。
領土を示すためにも竹島・尖閣諸島の天気予報を報道することの大切さや、日本列島が長いために切り貼りをしている地図を使わずに列島全てを一枚の地図で勉強する大切さなどを教えていただきました。
日本会議の国会議員の先生方には外国からの圧力に負けず頑張っていただききたいと思います。
頑張れ!保守。
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