2013年8月12日月曜日

正しく知り、正しく伝えたい大東亜戦争



大東亜戦争の真実

反日勢力が日本国民に知られたくない【大東亜戦争】世界の声 https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=pJ9AH6zgd-o

大東亜戦争【不屈の武士道精神】


日本がアジアに残した功績の真実


回天特別攻撃隊 FLASH


日本人が知らなければならない太平洋戦争の真実 【日本人よ目覚めよう】


日本人が知っておきたい戦争の真実Part.Ⅰ、Ⅱ



大東亜戦争(太平洋戦争)一つの真実

2013年7月31日水曜日

第30回記念全日本少年軟式野球大会IN横浜スタジアム
秦野市立本町中学校が出場します。
8月12日に初戦が行われ決勝は15日です。
優勝目指して頑張れ!本町中学校\(^o^)/

2013年7月25日木曜日

ラジオ体操を確り子供たちに教えよ!



日本のラジオ体操は大正十四年三月にアメリカのメトロポリタン生命保険会社により健康増進・衛生思想の啓蒙を図る目的で考案され、広告放送として放送されていた世界初のラジオ体操が基となっています。同年、保険事業の視察で訪米した現在の株式会社かんぽ生命保険の猪熊監督課長がアメリカでのラジオ体操を知り、
 私たちの子供の頃はラジオ体操と言えば、体育の授業の始まりと共に行われ準備体操といえばラジオ体操で、子供会では、夏休みに子供達の生活が乱れないように朝六時半にはラジオ体操を行っていました。
 しかし、現在では毎年夏の風物詩になっている子供会のドッチボール大会で行われている準備体操のラジオ体操はとても立派ですと言い難いものです。
 教育委員会に市内小中各学校でのラジオ体操の実施状況を問いただしてみると小学校では六校、中学校では三校でした。
 社会に出ても就業前にラジオ体操をする職場も多い事などから全校でラジオを教育することを訴えました。

日本に帰国したのち、日本でもラジオ体操を行う事を提案しました。昭和二年にラジオ体操を行う事を決定、昭和三年に簡易保険局を中心に日本放送協会、文部省等の協力の下制定し、同年11月1日に天皇の御大典記念事業の一環として放送を開始しました。日本で最初の考案者は体育学者の大谷武一で正式名称は国民保健体操です。NHKで放送を担当したのはラジオ体操のために採用された元軍人の江木アナウンサーで彼は初回からブリーフパンツ一枚で、マイク前で体操をしていましたが「照宮成子内親王もラジオ体操に御執心なり」と聞き及ぶや濃燕尾服に蝶ネクタイを締め、正装に身を包んだ上で放送に臨むようになり、実際の振り付けは郵便局員が全国に周知した歴史があり、現在の体操は三代目で過去二度改訂が行われています。

2013年4月11日木曜日

子宮頸がんワクチンは危険!

子宮頸がんワクチンを接種して重篤な副作用で苦しんでいる方がたくさんいます。
これでも愛する我が子にワクチンを打ちますか?
後悔先に立たず

2013/04/08 「なぜこんなワクチンを接種させるのか」接種中止を求める訴え/全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会による記者会見
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/73089#more-73089
子宮頸がんワクチン接種被害者映像 No.1 副作用のリスク
【緊急記者会見】全国子宮頸癌ワクチン被害者連絡会
山谷えりこ議員
【桜井裕子】子宮頸癌予防ワクチンの危険性[H23/1/7]
サーバリックス子宮頸がんワクチンによる民族浄化/弁護士 南出喜久治
http://www.youtube.com/watch?v=a-C_Xfi58jE
フェイスブック 池田としえ
http://www.facebook.com/profile.php?id=100005058998653
さとう内科循環器科医院 子宮頸がんワクチン接種に反対
http://satouclk.jp/cat11/
市民団体「No More ワクチン」
http://www.facebook.com/motoshi.kosuge?ref=tn_tnmn#!/nomorevaccine
すべてのワクチン接種には、死亡例を含む副反応があります。
それは、この子宮頸がんワクチンにおいても、例外ではありません。
http://www.thinker-japan.sakura.ne.jp/hpv_vaccine.html
特別レポート HPV(子宮頸癌)ワクチンの大インチキを暴く
http://tamekiyo.com/documents/healthranger/hpv.php
【子宮頸がんワクチン問題】補償 別の中2生にも自治体などが不支給決定
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/35fcb024db0e4c3351c60c0f1f129787
子宮頸がんワクチン 被害者の会結成2013年3月26日 【北陸中日新聞】【朝刊】 
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130326130539775



2010年12月29日水曜日投稿から 
1228日の読売新聞から

子宮頸(けい)がんワクチンの副作用として、気を失う例の多いことが、厚生労働省の調査でわかった。
 接種者の大半が思春期の女子で、このワクチン特有の強い痛みにショックを受け、自律神経のバランスが崩れるのが原因とみられる。転倒して負傷した例もあるという。同省は「痛みを知ったうえで接種を受け、30分程度は医療機関にとどまって様子を見るなど、注意してほしい」と呼びかけている。
 子宮頸がんワクチンは、肩近くの筋肉に注射するため、皮下注射をする他の感染症の予防接種より痛みが強い。昨年12月以降、推計40万人が接種を受けたが、10月末現在の副作用の報告は81人。最も多いのが失神・意識消失の21件で、失神寸前の状態になった例も2件あった。その他は発熱(11件)、注射した部分の痛み(9件)、頭痛(7件)などだった。
201012280302 読売新聞)
 
私は平成二十二年第三回定例会において子宮頸ガンワクチンについて質問をさせていただきました。
その中でいくつかの疑問について質問をいたしました。
①このワクチン(サーバリックス)は、子宮頸がん発症の原因となるハイリスクのヒトパピローマウィルス(15種類)のうち、16型と18型の2種類に対するワクチンであり、その2種類の全体に占める割合は、日本人の場合60%(欧米では70%)に過ぎません。即ち、全ての発がんウィルスをカバーするものではないということです。また、ワクチンの有効期限は現時点では二〇年間と言われているが、製薬会社は六年余りしか保証していません。つまり、このワクチンを打てば、一生子宮頸がんに罹らないというのは、大きな間違いです。
②性行為の経験がある女性(20歳以上)は、がん検診をして異常無しであることを確認してから打たなければ意味がありません。即ち、すでにヒトパピローマウィルス(HPV)に感染している人には効果がありません。むしろ危険である可能性があります。
③子宮頸がんの原因はHPVの感染であり、HPVは主に性行為によって感染します。従って、若年で、不特定多数の異性と性行為を繰り返せば、感染のリスクは当然上昇します。現在、医学的には、性行為前の女子(11歳~14歳の処女)に対するワクチン接種が有効と産婦人科学会や製薬会社が推奨していますが、まだ、つぼみの年齢と言っていい十代前半の女の子に、このワクチンの集団接種を行い、それを性行為開始の免罪符としようとする動きは、どう考えてもおかしいと思います。むしろ、性道徳と、婦人科検診の啓蒙を優先すべきだと思います。
④ワクチンには、必ず副作用というものが付きものであり、このワクチンについては、保護者に対して、効果の詳細と副作用について十分な情報が提供されているとは思えません。まだ製薬会社自体はそれを認めていないようですが、海外では死亡例を始め重篤な健康被害が報告されています。
⑤日本では、副反応に関する補償制度が確立されておらず、もし重篤な副反応が起こっても十分な補償が受けられず、訴訟という手段しか残されていないという現実があります。即ち、日本のワクチン制度・行政というのは、様々な点で諸外国に比べて遅れており、公費助成する場合、費用対効果も含め、もっと多くのデータを収集する前提が必要であると思います。
以上、色々と述べてきたが、現在の、盲従的な「子宮頸がん予防ワクチン推進運動」については、私自身、非常に危機感・恐怖感を感じています。秦野市に対しては国や県が助成をはじめたら、その危険性を市民に対して十分周知させるように努力することを訴えています。


2013年3月13日水曜日

親学について

 子供の健やかな成長は、すべての親の願いであり、また、社会全体の願いでもあります。しかし、核家族化や地縁的なつながりの希薄化、また、携帯電話やインターネットの利用をめぐるネットいじめや携帯電話依存症等の問題、さらに、子供の基本的な生活習慣の育成に係る問題等、新たな家庭教育に関する課題も数多く生じてきています。
 このような生活習慣の変化の中、自分の子供の育て方を知らない「困った親」=「困っている親」が増えている中「親になるための学び」と「親としての学び」が今、求められています。

親学について
「親学」は、子供にとって親はどうあるべきかを考え、子供と共に親として成長する楽しさなどについて学ぼうというものです。
 子育てに完璧なマニュアルなどありません。その子にあった子育てを、喜びや時には涙のなかで学んでいくのです。
 子供と共に学びあい、自らも一人の人間として成長していくことができれば、きっと素晴らしい親子関係を築くことができるのではないでしょうか。
 明星大学教授の高橋史郎先生が現在、日本各地で親学の重要性と必要性を訴えていますが「親学」とは「親になるための学び」と「親としての学び」であります。「困っている親」は自分の子供を自立させるための教育ができず、自分自身ではなく、学校に自分の子供教育の責任を追求するモンスターペアレンツなどと、例をあげれば親から愛情を感じたことがないまま成長し、子供を産んで子供にどうやって愛情を注いだら良いかわからない親、乳幼児が突然泣き出し、びっくりして自分が悪いと勘違いをして子供を虐待してしまう親、ながら授乳をするために子供が不安になり情緒不安定になる。(授乳中は子供の目を見ることで子供が安心する)授乳中に煙草を吸っているお母さんに煙草はおっぱいに毒よ!と注意をしたら、おっぱいから子供を離してしまった親もいるそうです。または保育園で自分の子供が鼻水を垂らしてるのを保育士に拭いてくれと頼んでくる親もいるそうです。このような事は親力の衰退と先生は訴えています。
 そして、発達障害に似た症状の子供が発達障害がある子として育っているケースが多々あり、このような事を防ぎ、改善するためには日本の伝統的な子育てを取り入れることが有効であると言っておられます。

 代表的なものでは子育て四訓があります。
1.乳児はしっかり肌を離すな
2.幼児は肌を離せ手を離すな
3.少年は手を離せ目を離すな
4.青年は目を離せ心を離すな




 そして「もとしのこの一冊」の中で紹介している「逝きし世の面影」の項では百年以上前に外国人が見た日本人の子育ての様子が記されていますが、日本は子供の楽園だと表現されています。ぜひ御一読ください。

 日本人は遠い昔から子供を宝物として大切に育ててきた歴史がありますので、その手法を復活させる事が、今求められています。
 また、夜空に輝く星を見て「ジンマシンみたいと」表現した子供がいたそうです。このような事を先生は脳内汚染と表現しています。この脳内汚染を防ぐには唱歌や童謡が有効であり、和太鼓を聞く事で発達障害に似た症状の子供の症状が改善された事例もあります。
これで良いのか子供の名前
 授業参観で子供が作文の中で大きくなったら総理大臣になりたいと発表して拍手を浴びた後、その理由を聞き保護者が凍り付いたそうです。その理由は総理大臣になって自分の名前を自由に変える事ができるようにしたいと言ったそうです。悪魔と命名したいという親がいて話題になりましたが、現在でも輝宙(ぴかちゅう)、一二三(わるつ)、愛猫(きてぃ)、七音(どれみ)、強運(らっきー)、英雄(ひいろ)、美貝(みっしぇる)、礼(ぺこ)、男(あだむ)、天使、(みかえる)、清文(せぶん)、剣(びれいど)、沙風、(さふぁー)、黎亜瑠、(れある)などの名前のお子さんがいます。名前に願いが込められていないし、親は気に入って命名したのかもしれませんが、これは子供に対する虐待に繋がると思います。

 親学推進協議会アドレス   http://www.oyagaku.org/aboutus/

神話教育について

平成二十四年第二回定例会
神話教育について

問 平成十八年度改正の教育基本法で国の伝統と文化を基盤として国際社会を生きる日本人の育成、また新学習指導要領に昔話、神話の読み聞かせなどが新たに盛り込まれたが、教育現場や生涯学習での、古事記や日本書紀など国の成り立ちについて、現在の取り扱いと今後の取り組みはどのようか。
答 教科書に古事記や日本書記が取り上げられており、伝統や文化に関する教育、郷土を愛する教育の充実に努めたい。また、秦野市史等で本市の神話伝承を紹介しており、講座についても検討したい。

小菅もとしの神話教育に対する思い
 歴史学者アーノルド・トインビーは「十二,十三歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」と述べています。
 安倍第一次内閣において教育基本法が改正されました。その中にも伝統と文化を尊重し、それはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う事とあります。
 日本は建国二千六百七十三年の世界一古い歴史を刻んだ国であります。そして平成二十四年は古事記が編纂されて千三百年でした。
 次代を担う子供たちに自信と勇気、誇りを持ってもらうためにも古事記の勉強をもっと学校教育に取り入れて貰いたいと考えています。



平成二十四年第三回定例会
  副議長に就任しましたので秦野市議会の申し合わせにより一般質問ができませんのでご了解ください。

組織体制を見直し行財政改革を推進せよ

簡素で効率的な組織執行体制の実現を求める決議について
▼要 旨
 新総合計画などで行財政改革に取り組んでいるとしているが、行政のスリム化などの組織改革は不十分であるため、部の統合や副市長の在り方など、組織体制の見直しに取り組むことにより、さらなる行財政改革を推進するため、決議するもの。
 

小菅もとしのこの決議に対する思い
 古谷市長は平成二十年四月より副市長二人制としてきました。 その当時、二人制にする理由は平成二十二年に天皇皇后両陛下をお迎えして開催される「全国植樹祭植樹祭」への対応やごみ焼却施設「はだのクリーンセンター建設事業」などの課題があるためでした。しかし、その課題もなくなりつつある現在は副市長は一人でも十分市政運営が出来るのではないかと感じています。
 また、平成十八年度は十三部でありましたが現在では十四部(部長級職員は十九人)にまで細分化された結果、縦割り行政の弊害が表面化しつつあります。
 スピード感あふれる市政運営のためには組織のスリム化は不可欠でありますので、速やかな組織改革が必要です。

新政クラブ視察報告 広島県熊野町

書道教育を視察して
 学習指導要綱では書道は小学校三年生からでありますが、広島県熊野町では、小学校一年生から書道の授業を行い学力向上につなげている。
 熊野町立第四小学校で実際の授業を見学させて頂きました。
 教室に入り、まず驚くのは子供達の姿勢が大変すばらしい事です。起立して発言する時もきちんと椅子を机の下にしまい、聞き手の子供は皆、発言者に体を向けて聞いています。
【立腰】を心がけ、「足はぺったん床の上・背中ピン・お腹と背中にグーひとつ・立った時にはかかとをつけて六十度」の合い 言葉で大変姿勢が良かったです。
 書道の授業では「川の字を書いて」の時間でしたが、書き順、筆使い、注意点、素書き、なぞり書きと行って半紙に書き、次に注意点を自分で見つけて 最後に清書です。
 その後は、半紙に書いた書の中で一番良いものに名前を書き、最後に自分の良かったところ悪かったところを発表します。
 授業中に集中が切れる子供もいなく整然とした状態で一時限が行われました。授業を見学後、林校長先生などから話を伺いましたが、授業数を十五時間多くしているそうです。
 小学校一年生から姿勢や礼儀を躾る事をはじめ、小学校高学年や中学生にまで同じ指導をすることで、飛躍的に学力を向上させることに成功させています。
 他にも校庭のポールには高々と国旗を掲げていますし、授業間の移動は無言移動を励行し廊下は右側通行徹底、清掃においても無言が励行されています。
 そして職員室を見て大変驚いたのは机の上が大変きれいな事でした。子供を躾るにはまず、教師自ら正している姿勢が垣間見えました。
 また、熊野町では小学校から制服を採用しており、学校と家庭の区別をきちんとさせていることは共感できました。
 


秦野の子供達にも同じ指導や躾を施してほしいと感じました。
 議員活動も十年目の節目を迎え、その間教育委員会には様々な提案をしてきましたが、秦野市の教育施策には満足出来るレベルには程遠いと感じています。
 今回の勉強などを生かして議会活動、そして、はだのっ子の学力が向上するように頑張って行きたいとと考えています。

中学校完全給食について

 学校給食法では、学校給食は、成長期にある児童・生徒の心身の健康の保持増進と体位の向上を図ることや、正しい食事のあり方と望ましい食習慣を養うことを目標に掲げ、学校の設置者である地方公共団体はその達成に努めることが定められています。
 また、近年、食生活を取り巻く環境の変化により、脂質の過剰摂取や野菜の摂取不足等の栄養の偏りが大人だけでなく、子供達にも見られています。さらに、子供だけで食事をする「孤食」や、朝食欠食など食生活の乱れが問題提起され、こうした食事環境に置かれている子供達の心身への影響が心配されています。このような問題の解決に向けて、健全な食生活の実践としての単なる食生活の改善に留まらず、食に関する感謝の念と理解を深めることや、伝統のある優れた食文化の継承、地域の特性を生かした食生活に配慮することなど、食育の推進が求められています。
 さらに、市民の要望として、中学校完全給食の実施に対するニーズの高まりが見られます。約八割の保護者が希望しているアンケート調査結果や、市長への手紙などを通じて、食育の推進、子育て支援の観点から中学校での完全給食を希望する保護者の声が私の所にもたくさん寄せられています。
小菅もとしの中学校の完全給食についての思い
 
 平成十五年の市議会議員選挙において中学校の完全給食を実現させたいと訴えて初当選をさせていただき、今もその思いは変わっていません。
 秦野市はこれまで中学校給食実施への課題について配膳や片づけの時間の確保、残食の問題や給食費未納者への対応、多額の財政負担などをあげています。 しかし、このような事が本当に出来ない理由として成り立つのか大変疑問であります。
 秦野市の試算では当初経費/年間経費は・自校方式で二十六億五千五百万年/二億五千二百万円 ・センター方式 十七億三千八百万円/二憶四千四百万円 ・デリバリー方式六千八百万円/二億四千九百万円です。
 出来ない理由の中で一番の理由は財源の確保をが難しいと強調されてきましたが平成十八年度には財政調整基金(市の貯金)は約三億八千万円でしたが平成二十三年度決算時には約二十三億円まで膨れ上がっています。配膳や片づけの時間の確保についても他市では実施している状況を考えると逃げ口上にすぎないと考えています。
 食育の推進からも地産地消を推進して食生活が自然の恩恵の上に成り立つものである事や、食に関わる人々の産業活動に支えられている事について理解を深め、生命、自然を尊重する心や勤労を重んずる態度を育てる事ができると考えます。
 これからも中学校で完全給食が実施出来るように努力していきます。

2013年1月11日金曜日

中年年男の一寸冒険台湾一人旅4泊5日(なるべく鉄道バスを使う旅)

平成二十五年一月二日

今年の正月休みの日取りが良いことから台湾一人旅を計画してみました。
毎年こなしてきた予定は元旦には地元の浅間神社の元日祈願祭に出席をして5日には秦野市の賀詞交歓会が執り行われています。
このような日程では2日、34日の休みになり、以前では矢作川マラソンなどに参加やスキーに出かけるぐらいの正月休みでした。
しかし、今年は5日が土日に絡み秦野市の賀詞交歓会が7日になる事から2日から6日まで休みを頂くチャンスを得ました。
 また、日本航空のポイントも貯まっていて航空券は無料航空券で行くことができ幸運も重なりました。
以前にも何度か台湾を観光で訪れていますが今回は観光客があまり訪れない、台湾に日本人の先人が残した建造物などを観に行く事を目的にしました。

2日 台湾・台北市へ出発

初めて列車で成田空港まで行ってみました。
渋沢駅を620分に出発をして小田原へ行き、新幹線で東京に、東京から成田エクスプレスに乗車して約3時間で成田空港第二ビルに到着しました。
フライトは1120分発JAL805で、エグゼグティブクラスで一寸リッチな気分を満喫です。やはりエグゼグティブクラスはただ座席が大きいだけではなく、待合室も「さくらラウンジ」が使え、待っている時間を忘れさせる空間があります。搭乗に当たっても優先登場させていただけますので込み合うことなくスムーズにできます。
 定刻通りフライトができ機内食も堪能しながら台北桃園国際空港に到着しました。日本航空には現在ジャンボジェットがない為に台北までの所要時間もジャンボに比べて30分以上余計にかかっています。
 入国審査を無事に終えて、両替を済ませて第一の関門ホテルまでのバスに乗車します。
 外国で初めて一人で乗る路線バスはかなり緊張します。隣にいた若い日本人男性に話かけましたが、彼は初めての台湾で逆に質問をされてしまいました。約1時間15分で台北市内のホテルに到着しました。
時刻はすでに4時を回っていますので今夜は近くの屋台で食事をして、明日の計画を練る事にしました。 

3日 烏山頭水庫へ

8時起床(かなり寝坊)して朝食を摂り、台北駅までタクシー(3分)で行き、台湾高速鉄道・台南駅までを購入して無事乗車。
台湾高速鉄道は日本の新幹線技術は導入されていると以前から聞いていましたが、乗車すると新幹線その物でした。外見はもとより、椅子をはじめとする内装など色が違うだけのようで、乗車中聞こえる音はまさしく新幹線でした。
無事に台南駅(高鐵)に到着すると、そこからは在来線を乗り継いで行かなければならず、かなり緊張しました。
台南駅(高鐵)に直結している駅(shalun)から台南駅に行き、そこから目的地の隆田駅を目指しました。
台南駅に着いた頃には12時もまわり乗継には30分ほど時間がある事から駅前を歩きスターバックスを発見しましたのでクロワッサンサンドをいただきました。食事を終えると駅に戻り、何度も駅員に身振り手振りで確認をして目的地の隆田駅まで到着して、ここからは鉄道がありませんのでタクシーに乗車して烏山頭水庫に向かいました。
運転手さんも手慣れたもので、烏山頭水庫(うさんとうだむ)と言っただけで何も聞かず八田與一像に連れて行ってくれました。
ダムを見下ろす小高い丘の上にそれはありました。少しダムの堤防沿いを歩きましたが複雑に入り江が重なり、大きいことから対岸などは見えませんでした。
八田與一と烏山頭水庫参考ホームページ→http://www.a-eda.net/asia/hatta1.html


4日台湾南部屏東県にある池上一郎博士文庫と鳥居信平技師が造った屏東県来義の二蜂川ダム(地下ダム)
池上一郎博士文庫について参考にしたホームページはこちら→http://www.a-eda.net/asia/ikegami.html
 鳥居信平参考文献→http://www.ritouki.jp/magazine/pdf/22-1.pdf
 


 池上一郎博士文庫では理事長の張海華さんにお会いし、お話をさせて頂きました。
 この後はどこに行くか尋ねられ鳥居信平技師が造った二蜂川ダム(地下ダム)に行く予定を伝えた所、張達銘さんと王陽宗さんが案内してくださると言ってくれましたので御言葉に甘えさせて頂きました。
 皆さん日本語世代の高齢者で大変親切でした。
 二蜂川ダムは地下ダムなので案内が居ないと見つからないと思います。
 鳥居信平技師の胸像の前で記念撮影をして、帰り際に張さんのお宅でお茶を頂き駅まで送っていただき、日本語世代の方々に助けられた1日でした。


5日は台北市内の228記念館や明石第七代総統の墓地の跡地に紆余曲折しながら戻って来た墓前の鳥居、総督府、台湾銀行、警察署などを観て来ました。


6日は関西国際空港経由でしたが成田便にキャンセルがあり成田に帰れるようになって大変ラッキーでした。

今回の旅行で日本人が台湾で成し遂げた偉業は世界に誇れる事だと痛感いたしました。
この事をもっと多くの日本人に伝えたいし子供に語り継ぐことで誇りを感じてもらいたいと思いました。
 東日本大震災においても200億円という巨額の義援金を贈ってくれた台湾をもっと日本人は身近な存在としてお付き合いをするべきです。

以上、簡単にまとめさせていただきました。