2010年8月29日日曜日

防災訓練


8月29日(日)秦野市防災訓練が行われました。
学校前第4自治会では9時にサイレンがなり、安全確認をした後、防災備蓄倉庫のある自治会館で訓練が行われました。
自治会長の指導で消火器の使用訓練を行い、その後消防団の指導で三角巾の使い方、毛布で担架の作り方、一人でけが人の搬送の仕方などを教わりました。
イザ!という時のための訓練です、備蓄の水・食糧・家具の転倒防止の再確認をいたしました。

2010年8月27日金曜日

第58回日本PTA全国研究大会ちば大会

日本PTA全国研究大会に参加しました。
一日目は第4分科会『企業から学ぼう!広報・PR』
開会式の後 第36回全国小・中学校PTA広報紙コンクール表彰式が行われ、午後からは基調講演が行われました。

2010年8月21日土曜日

靖国神社に参拝



今年は友基の会のメンバー4人と共に靖国神社にやってきました。
例年は市が行う戦没者の慰霊祭に出席をしていたために、靖国神社参拝は午後からになりました。
しかし今年は閣僚が誰一人として参拝に訪れないと言う異例の事態になり早朝より参拝に訪れました。
午前9時に草莽全国地方議員の会主催の参拝に参加をしてました。大鳥居から名前入り旗を掲げながら整然と行進をしていると時折励ましの言葉を受けながらの参拝になりました。
10時半からは日本会議地方議員懇談会の主催による昇殿参拝を行いました。
日本を守るために戦い夢破れた英霊に心から感謝をいたしました。
これからは私たちが立派な日本を築き上げなければならないと再確認いたしました。

午後からは東京裁判が行われた巣鴨プリズンの跡地を訪れましたがサンシャイン60の脇にひっそりと慰霊碑だけがあり花が供えられていました。
帰りながら乃木神社を訪れました。乃木神社は乃木将軍ご夫妻の英霊を祀り国民崇敬の祠とすることを目的として、大正8乃木邸の隣地を購入し、御鎮座の地としています。
隣には旧乃木邸も残されております。
大正元年9月13日この日は国民が明治天皇と最後のお別れをする御大葬の日です。
午前8時、乃木将軍と静子夫人は記念写真を撮り、9時宮中に参内。午後は自宅で地方から来た多くの客と過ごしました。
そして午後8時、桜田門外の近衛砲兵隊の弔砲を合図に寺の鐘が一斉に鳴り響きました。
この時乃木将軍御夫妻は明治天皇の後を追って亡くなったのです。
乃木将軍64歳、静子夫人54歳。御夫妻が亡くなった2階の部屋のテーブルには9月12日付で、乃木将軍が次の人々に宛てた遺言書が置かれていました。
湯地定基(静子夫人の兄)殿、大館集作(乃木将軍の末弟)殿、玉木正之(乃木将軍の次弟・正誼の子)殿、そして「静子どの」・・・

一度訪れてみたいと思っていた乃木神社にも参拝でき充実した一日を過ごすことができました。

2010年8月13日金曜日

韓国併合百年「首相謝罪談話」を許さない緊急国民集会

韓国併合百年「首相謝罪談話」を許さない緊急国民集会に昨日参加をいたしました。


韓国併合百年「首相謝罪談話」を許さない緊急国民集会実行委員会
韓国併合百年に当る今年、菅直人内閣は8月10日に、これに関する「謝罪談話」を出す意向です。これに全面的、根本的に反対する国民意思を示す集りです。
これは、韓国併合や日本による朝鮮統治等に関する「歴史認識」を問うものではありません。
両国関係、ひいては諸外国との外交関係を何に基づいて構築するか、を問うものです。
これこそ日本の古代からの対外関係の課題でした。いま問われているのは、私たち日本の「独立意識」です。
平成22年8月8日
【日 時】平成22年8月12日 木曜日 13時~14時半
【会 場】憲政記念館 
【登壇者】与野党国会議員、地方議員、有識者
【主 催】韓国併合百年「首相謝罪談話」を許さない緊急国民集会実行委員会
【呼掛人】荒木和博・井尻千男・遠藤浩一・小田村四郎・小堀桂一郎・高池勝彦・田久保忠衛・藤岡信勝(順不同・平成22年8月8日時点)
【参加費】無料
【告 知】http://www.blog.goo.ne.jp/shazaihantai

【開催趣旨】
今年は大韓帝国をわが国に併合してから百年目に当る。菅直人内閣はこれを機会に、来る八月十五日に、これを謝罪する「首相談話」を発表しようとしている。
 明治四十三年(一九一〇年)の韓国併合条約は、当時列国から承認され、また今日においてもその国際法上の有効性は、世界の学者から認められている。わが国の敗戦と大韓民国の成立をうけて、昭和四十年(一九六五年)の日韓基本条約及びそれに伴う日韓請求権並びに経済協力協定が結ばれ、日韓関係には新しい時代が開かれた。
これらの取り決めにより、日韓両国は、相互に相手に対する請求権を放棄し、日本統治時代の個人補償請求問題も「完全かつ最終的に」解決されている。
以後、日韓関係は、竹島問題をトゲとして内包しつつも、北朝鮮とそれを支援する内外の共産主義勢力の妨害を双方の協力で排除しつつ、おおむね良好に進展してきたのである。 
 ところがその後、昭和五十七年(一九八二年)、中華人民共和国がわが国の教科書問題に内政干渉を行ったのを契機として、日韓両国間にいわゆる「歴史問題」が生じてきた。以後、韓国は、わが国を道徳的に断罪し、国家としての「謝罪」と「補償」を要求してきた。
 こうした中で起こったのが、いわゆる「従軍慰安婦強制連行」問題である。平成五年(一九九三年)に、問題の沈静化を狙って、「従軍慰安婦」「強制連行」の事実を認めたかのような河野官房長官談話が出されたが、かえって両国間の紛糾は激化した。
 国家関係に「歴史認識」の共有を強要し、或いは執権者の道徳的な気分と個人的感傷をもちこみ、確立された条約・協定をゆるがせにすることの間違いは、戦後の日韓関係を巡るこれら紛議の事例によって既に証明されている。そもそも「謝罪」には「償い」が伴うことは、世界的常識であるから、請求権を解決した条約・協定と矛盾しない「謝罪」などありえない。しかも国家の行為を総体として「謝罪」「補償」することは、相手国の名誉を重んじる立場からも、決して行ってはならないものである。
 我々は、日韓両国、ひいては日本の対外関係は次のような原則に基づくものでなければならないと考える。
 第一に、両国関係は、いわゆる「歴史認識」から独立していなければならない。両国関係を特定の「歴史認識」によって基礎づけることは、いずれか一方の歴史認識を相手に強要することになる。
第二に、両国関係は、一方の側の道徳的優越感や断罪と、他方の側の謝罪とに立脚してはならず、国際法に基づき、条約に基礎をおいて善隣友好の関係を築くべきである。「謝罪」が無意味だからこそ条約を締結し、物事は終ったこととするのであり、それが文明国の流儀なのである。
 以上の理由により、我々は、菅内閣による「首相謝罪談話」を取りやめるよう強く要求する。またかりに、文明国の流儀に反して、そうした「談話」が発表されたとしても、それは、当該地位にその時に就いていた者の個人的感想の表白に過ぎず、我々日本国民を、法的にはもちろん、道徳的にも、思想的にも、歴史的にも、拘束するものではないことをここに表明する。     (平成22年8月8日 記)

2010年8月8日日曜日

秦野市野球協会 秋季大会抽選会

秋季大会の抽選会が8日本町公民館で行われました。
A・B・Cクラスそれぞれの抽選です。
8月29日からの好ゲームを期待します。

優勝目指してがんばろう!!

2010年8月3日火曜日

秦野市議会議員親睦会

議員親睦会の美術館めぐりに参加しました。
神奈川県立近代美術館 葉山と鎌倉を観てきました。
葉山では浜田知明の世界展が開催中で独特の版画と彫刻でした。
鎌倉では鬼と遊ぶ 渡辺豊重展が開催中でした。

2010年8月1日日曜日

教科書を良くする神奈川県民の会定期総会

教科書を良くする神奈川県民の会定期総会 が8月1日行われました。
総会後には「日本の教育の行方」と題して産経新聞政治部与党キャップの講師 榊原 智 氏の講演が行われました。
現在の民主党は①元社会党の中枢メンバーであった議員が中心で左翼的な考えの方々多い。それは選挙の時に各候補者の組織が弱く、日教組や自治労に頼っているためである。日教祖の影響から学力調査も抽出方法になり教員免許更新制度もなくしている。など、政権交代後の教育の低下を心配していました。また、②前原、岡田両大臣もリベラルの考えで物事を判断していると伺いました。そして③民主党の一番の欠点は「恥を恥と思わない」また、両議員総会の行われている時にも他のイベントに出席している議員が多い事は以上ではないか?と訴えていました。④民主党に中の良識派と言われる松原議員や神奈川選挙区で当選した金子議員らの台頭に期待している。など記者の目線で見た現在の教育と民主党内の話を中心にお伺いいたしました。
講演のあとは質疑になりましたが、多くは意見の交歓会になりました。