2012年6月16日土曜日

日本李登輝友の会・神奈川県支部総会・講演会

日本李登輝友の会 神奈川県支部事務局長 栗山 威郎より日本李登輝友の会・神奈川県支部総会・講演会の報告

石川公弘支部長が熱弁─神奈川県支部総会・講演会

 本年度の神奈川県支部の総会と記念講演会は、横浜の由緒ある馬車道通りで台湾人の張志銘さんが経営する台湾料理店「五味香(ウミシャン)」を貸切で開催した。
 今回は初参加の会員も多く35名が出席した。総会は予定通り滞りなく終了し、新幹事に小菅基司(こすげ・もとし)秦野市会議員と会社経営者の橋本理吉(はしもと・りきち)氏が選任された。また多忙の折、公務を割いて支部顧問でもある遠藤三紀夫(えんどう・みきお)座間市長も出席され、本部からは柚原正敬(ゆはら・まさたか)事務局長、さらには東京や千葉からも参加いただいた。
 講演会は支部長の石川公弘(いしかわ・きみひろ)さんが「大東亜戦争秘話─航空戦を陰で支えた台湾少年工」と題して熱弁を振るった。
 台湾少年工たちは、内地で飛行機を作りながら、小学校卒業者なら甲種工業学校、中学卒業者なら高等工業学校卒業の資格を与えられ、在勤中は給料支給、衣服、食事、住居も与えられるという好条件に希望を持ち、台湾全土から学業、身体ともに優秀な生徒たちが選抜されて派遣されてきた。
 国内では熟練労働力が不足しており、その補充目的もあって8,400名もがはるばるやってきた。その第一陣は昭和18194359日に到着し、高座海軍工廠に配属された。
 小学校校長だった石川さんの父上が少年工たちの寄宿舎の舎監に任じられ、彼らの面倒をみた。少年工は敗色濃厚な日本で、各地の航空機生産工廠に派遣され、B29の度重なる爆撃に耐えながら敗戦まで頑張った。彼らが製作に携わった飛行機はゼロ戦、雷電、紫電改、銀河、月光など多機種であった。
 敗戦後から帰台までは自治組織を編成し、帰還船の調達まであらゆることを台湾少年工の彼らが成し遂げた。少年工たちはその後、台湾各地で活躍し、政治、経済の各面で親日の交流を図っている。当時からそのリーダーが李雪峰氏で、現在、台湾高座会の会長であり、蔡焜燦氏が理事長の李登輝民主協会の常務理事も務めている。
 来年の59日は日本に到着してから丁度70年となり、節目の5060周年に続き、多くの台湾少年工出身の方たちが来日される。
 そして話の最後を「われわれ神奈川県支部は、台湾高座会留日70周年歓迎大会に全面協力の予定であり、座間市長も積極的に応援してくれている。どうぞ来年の当日は多くの会員の参加をお願いしたい」と結んだ。
 石川さんの話は参加者に多くの感動を与えるとともに、来年の盛会に向けて協力を誓わせるものだった。
 講演の後は本格的な台湾料理に一同十分満足し、今年の総会を盛会裡に終えた。
 尚、今年1月に当支部顧問としてお力添えをいただいていた大谷龍一氏が逝去されました。ご冥福を祈ります。

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