2012年1月9日月曜日

このままで良いのか?成人のつどい

このままで良いのか?成人のつどい
秦野市文化会館において成人のつどいが行われました。
今年は会場を文化会館に移して3年目になります。
総合体育を会場にしていた時は椅子席がないために、会場を歩き廻る出席者が多く、携帯電話片手にミニ同窓会があちこちで開催され式典会場とは程遠い光景でした。
文化会館に会場を移し着座にして、風景は式典らしくなりましたが、式が始まっても着座もせずに歩き廻る、私語が絶えない状態でした。
市長は2年前成人に向かって「黙れ、静かにしろ」と大きな声で怒鳴ったことがありました。
議会で私は前杉並区長・山田宏氏が成人式で参加者に静かになってもらう手法をお伝えしました。それはあいさつの中で靖国神社に祭られる英霊の方々の遺書を粛々と読み上げることです。
山田氏によれば最初はざわついているが、自然と静粛になり最後は日本でそんなことがあったのか?と言って涙する参加者もいると聞きました。
古谷市長には強い態度で臨んで欲しいと励ましましたが・・・・・・・・・・・・

これからの秦野、神奈川、そして日本を背負っていく成人がこの様な態度で良いはずがない。

 ウィキペディアによると、成人を祝う儀礼は古くからあり、男子には元服・褌祝、女子には裳着・結髪などがあり、日本における今日の形態の成人式は、終戦間もない1946年11月22日、埼玉県北足立郡蕨町(現:蕨市)において実施された「青年祭」がルーツとなっているそうです。
敗戦により虚脱の状態にあった当時、次代を担う青年達に明るい希望を持たせ励ますため、当時の埼玉県蕨町青年団長高橋庄次郎が主唱者となり青年祭を企画、会場となった蕨第一国民学校(現:蕨市立蕨北小学校)の校庭にテントを張り、青年祭のプログラムとして行われたそうです。
この「成年式」が全国に広まり現在の成人式となり、蕨市では現在も「成年式」と呼ばれており、1979年の成人の日には市制施行20周年、成人の日制定30周年を記念して同市内の蕨城址公園に「成年式発祥の地」の記念碑が同市によって建立されました。
蕨市の「青年祭」に影響を受けた国は、1948年に公布・施行された祝日法により、「おとなになったことを自覚し、みずから生きぬこうとする青年を祝いはげます」の趣旨のもと、翌年から1月15日を成人の日として制定し、それ以降ほとんどの地方で成人式はこの日に行われるようになりました。その後、1998年の祝日法改正(通称:ハッピーマンデー法)に伴って、2000年より成人の日は1月第2月曜日へ移動しています。

この様な先人の熱い思いを現在の成人はしっかりと受け次いて欲しいです。

成人式の正常化に向けて3年の月日がたちましたが、まだまだ課題が残りました。来年にはもっと静粛な中で厳粛な成人のつどいの式典ができるように取り組みます。

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