16日朝一の航空便で熊本へ
レンタカーを借りて一路高千穂へ向うも生憎の雨。
気分はイマイチ!途中、熊本ラーメンを頂くも一寸期待外れ!
高千穂まで数キロになったところで「トンネルの駅」なるドライブインに寄ってみた。
敷地内には廃線になった鉄道のトンネルを貯蔵庫にしていました。そこでは原酒をじっくり熟成させている所を無料で見学できました。
トンネルの駅を出発するときには雨も上がり、高千穂の代名詞でもある高千穂峡に行くことにした。
高千穂峡は、その昔阿蘇火山活動の噴出した火砕流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、 急激に冷却されたために柱状節理のすばらしい懸崖となった渓谷。
この高千穂峡は、1934年(昭和9)11月10日名勝・天然記念物に指定されています。
付近には日本の滝100選にも選ばれた真名井の滝、槍飛橋などがあります。
さらに神話に由縁のある「おのころ島」や「月形・日形」「鬼八の力石」など、
高千穂峡の遊歩道のみで高千穂の魅力を十分に感じることができるスポットといえます。
高千穂峡を象徴する風景を演出する高さ約17mの真名井の滝は天孫降臨の際、この地に水がなかったので、 天村雲命(アメノムラクモノミコト)が水種を移した「天の真名井」から湧き出る水が滝となったと伝えられている神秘的な滝です。
今日は夜神楽を観賞するために少し早めに宿に入る事にした。
高千穂神社の神楽殿では、毎晩観光『夜神楽』を観る事ができ、19団体の保存会が持ち回りで披露しているそうです。
披露されるのは神楽33番の中から代表的な手力雄・細女・戸取・御神体の4番を公開しています。
天岩戸の神楽では、たぢからおの命が岩戸をつかんで、ぐいっと引き開け、天照大御神を外へお出しになったシーンなどは迫力がありました。
またイザナギとイザナミの神楽は少しエッチであった。
須佐之男命は、勝った勢いでいい気になり、天照大御神の作った田の畦を壊し、溝を埋め、御殿の中に大便をまき散らしました。みんながあきれてみている中で、一人天照大御神だけは少しもとがめようとせず、決して悪い気持ちでやったのではないと考えました。須佐之男命の乱暴はだんだんひどくなり、機織りの御殿に向かって、まだらの天馬の皮を剥いで投げ込みました。機織機は壊れ、織り姫の中には驚いて機織り機にぶつかって死ぬものまででました。さすがの天照大御神も、これ以上ほっておけない、自分の責任だと感じて、心を清め高天原を清めようと、天の岩戸の中に、岩戸を立てて閉じこもってしまいました。
大変なことになりました。太陽の神である天照大御神が隠れたのですから、あたりは真っ暗になってしまい、夜ばかりの世界になってしまいました。悪い神も騒ぎだし、災いが吹き出すように出てきました。困った神様達は、早く天照大御神に出てきてもらおうと相談を始めました。一番知恵のあるおもいがねの神に、いい方法を考えてもらうことにしました。
まず、長鳴き鳥を連れてきて「コケコッコー」と鳴かせ朝を告げました。
次に、大きな鏡を岩戸の前に置きました。
そして、神に捧げるよい言葉を唱えました。
力の強いたぢからおの神が岩戸の陰に隠れました。
最後に、あめのうすめの命が大きな樽の上で裸踊りをされました。このダンスを見て神々はあまりにもおかしくて大笑いをしました。
あまりにもにぎやかになったので、天照大御神は、気になってそっと隙間から外をごらんになり、私が隠れて外は真っ暗なのにどうしてみんな楽しそうなのかを尋ねました。あめのうずめの命は、「あなたよりもっと尊い神がおいでになったので皆喜んでいます」と答えました。
そのとき、ふとだまの命はそっと鏡を差し出しました。鏡には、光り輝く女神が映りました。天照大御神は、それが鏡に映った自分の姿とは気づかず、さらに身を乗り出して隙間を空け、ごらんになろうとされたところを、たぢからおの命が岩戸をつかんでぐいっと引き開け、天照大御神を外へお出ししました。
こうして高天原に再び光が戻ってきました。
長野県に、戸隠山という山があります。岩戸を引き上げたとき、力が余って岩が下界に飛んでいき、それが戸隠山になったと言い伝えられています。
17日
最初は高千穂神社、天岩戸神社、天岩戸、槵觸神社(くしふるじんじゃ)から高天原遥拝所、四皇子峰(しおうじがみね)天真名井(あまのまない)荒立神社に参拝をしました。
昨日の高千穂峡も神秘的でしたが、ここも神話で描かれた場所が実際にあり不思議な世界に入り込んだようでした。
日本人であれば一度は訪れたい場所です。
以下解説高千穂神社
神社の伝承では、天慶年問(平安時代938年-947年)、豊後の豪族.大神惟基の子・政次という人が、二田井家の養子となって家を興し、十社大明神を高干穂郷の総社として崇め、広く郷民の信仰を集めたという。
大神大太惟基は平家物語にも出てくる緒方三郎惟義の祖先です。
かつて高千穂郷(現在の高千穂町、日之影町、五ヶ瀬町、諸塚村)には554社もの神社があり、その中でも格の高い88の神社を「高千穂八十八社」と言い、その「高千穂八十八社」の総社として信仰を集めてきたのがこの高千穂神社です。
天岩戸神社
神話の中でもよく知られた天照大御神(アマテラスオオミカミ)の天岩戸開き、あの天岩戸伝説を伝える神社です。 天岩戸神社には東本宮と西本宮があり、東本宮はアマテラスオオミカミ、西本宮はオオヒルメノミコト(アマテラスオオミカミの別御神名)を主祭神とし、天岩戸(洞窟)を御神体として祭っております。
現在、一般的に天岩戸神社と呼ばれているのは西本宮ですが、お時間があれば是非、東本宮も参拝される事をおすすめします。
天岩戸
天の安河原付近はおびただしく石が積み重ねられ、特に神秘的、ここは強力なスピリチュアル・パワースポットです。 ここの雰囲気・パワーはとにかく凄い。
観光客の少ない朝・夕の時間帯を私はお奨めします。
槵觸神社
古事記に「筑紫日向の久志布流多気……」と記され、その場所と考えられている「くしふる峰」の中腹にある神社。天照大御神の孫、迩迩芸命(ににぎのみこと)が地上へ降り立った(降臨)の地として伝えられています。周辺には
高天原遥拝所 天真名井(あまのまない)なども歩いて行ける距離にあります。
少し歩きますが、荒立神社へも行けます。
少し歩きますが、荒立神社へも行けます。
槵觸神社の南に連なる小高い丘の上にあり、天孫降臨後、神々がこの丘に立って、高天原を遙拝(遠くから拝むこと)した場所といわれています。
皇子峰(しおうじがみね)
神武天皇の御兄弟(四皇子)誕生の地と伝えられ、御聖域とされている。
彦火火出見尊(瓊々杵尊の御子で山幸彦)の御子鵜鵝草葺不合尊は玉依姫と結婚され、彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命、神日本磐余彦尊(神武天皇)の四皇子がお生まれになっている。神日本磐余彦尊は高千穂の宮で東征について彦五瀬命とご相談され、日向から筑紫、安芸、備後熊野を経て大和に入られ、平和国家を築かれたという。
四皇子峰は、槵觸神社(くしふるじんじゃ)から風土記・万葉の丘、高天原遥拝所と遊歩道を辿ると行き着くことができる。
上記神々の読み仮名
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)瓊々杵尊(ににぎのみこと)御子鵜鵝草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)彦五瀬命(ひこいつせみのみこと) 稲飯命(いなひこのみこと) 三毛入野命(みけいりのみこと) 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)
天真名井(あまのまない)
ニニギノミコトがご降臨の時、この地に水が無く、天村雲命が再び高天原に上がられ、天真名井の水種を移されたと伝えられており、御神水として信仰されている。春の高千穂神社、秋のくしふる神社例祭ではお旅所として神輿が安置され、神楽が奉納されている。
宮崎の巨樹百選にも指定された大ケヤキの根元にこんこんと清らかな水が湧き出しており、高千穂峡の「真名井の滝」の水源にもなっているようです。
荒立神社 (芸能の神様)
猿田彦命、天鈿女命を主神とし大年神 迫天満 興呂木家先祖をお祭りする神社
ニニギノ尊の命により天鈿女命(天宇受売命)(アメノウズメノミコト)は猿田彦命に仕えられ、逢初の契りを結ばれます。この時、くしふる峰の後方から切り出したばかりの荒木で家を建て、住居とお定めになりました。
後世、命を祀る社も、荒木で白水造りとした事から別名「荒建宮」の社名となったとも言われています。二十躰王宮(にじったいおうのみや)、宮地嶽社もあわせて巡ってみてはいかがでしょう。
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